権力構造
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(Japanese) この記事は私論です。何人かのメタウィキの利用者の意見と考えを表していますが、幅広い支持を得ているとは限りません。メタウィキの方針ではありませんが、他のウィキメディア・プロジェクトの方針かガイドラインであるかもしれません。必要に応じてこのページを遠慮なく編集し、大きな変更の提案にはこの記事のノートを使用してください。 |
ウィキメディアの権力構造[1](ここでは、様々な編集者の組織体、およびそうした組織体同士の連絡の仕方を指します)は、一見するとやや複雑に見える可能性があります。本稿は、ウィキメディア全体としての現状がいかに保たれているかを説明しようとするものです。この状態をどうやって変えるか、変えるべきかといった議論を始める場合は、メタウィキ上の他のページを使ってください: The ideal Wikipedia board, More heat than light, Wikimedia charter, Wikimedia public relations, Wikipedia Peace Process.
現在のウィキメディアの権力構造は、無政府主義・前例主義・官僚主義・独裁主義・民主主義・共和制・実力主義・金権主義・技術家主義の混成物です。
無政府主義
[edit]ウィキメディアのページはどれも、あらゆる人間の共同作業で編集されます。編集者の中には、何も紐付けを持たないIPユーザーもいます。その中の誰もが、我々の方針(たとえば英語版のポリシー、日本語版の基本方針とガイドライン)に即している限り、尊敬される編集者になることができます。
尊敬される編集者はこの共同作業に関して、「来るもの拒まず」という無政府主義的アプローチを尊重します。新規参入者は価値ある資源です。
我々のガイドラインと方針も同様に編集の共同作業と合意の模索を通して進化しています。各種方針ページのトークページのほか、メタウィキやメーリングリストでこの種の問題が議論されます。以前は、メーリングリストがいまよりもよく用いられていました。
前例主義
[edit]実際的な問題として、ウィキメディアの方針のほとんどは伝統の問題です。財団の決定の一部は、実際的な目的のため、議論を待たずに検討が進められます。他の問題については、基本的にそれまでの伝統に従って処理されます。ただし、現状が理想的でないという全体の合意が得られた場合を除きます。(これはたとえば、削除依頼、管理者への立候補などで起こります)
この側面からウィキメディアの権力構造を理解するには、多くの(おそらくほとんどの)寄稿者が、難しい問題を繰り返し蒸し返すのは実際的ではないと考えている、ということを考慮してください。難しい問題には合意が得られにくいためです。他の組織と同様にウィキメディアでも、変化は、すべきときではなく必要になったときに起こります。
官僚主義
[edit]プロジェクトが成長するにつれ、方針や手続き、利用者グループ、そして慣習が積み重って組織とその成長を支えるようになります。理論的には、これらのほとんどが透明で、非形式的で、中立的なものですが、実際にはそれを理解する人々に有利に働きます。新しい利用者や参加頻度の少ない利用者は、書式とスタイルを守れ、カテゴリーとテンプレートを正しく使え、削除の方針の複雑さを理解しろとの要求に圧倒されます。
処理の流れをよりよく理解していることを利用して自分の目的を達成することは、控えるように強く求められています。それだけでなく、新規編集者はいつでも大胆に編集し、コミュニティに関わるように勧められています。経験のある編集者には、彼らが複雑なシステムで迷わないように、助けることが勧められています。「新規参加者を苛めないでください」もご覧ください。
独裁主義
[edit]ジンボ・ウェールズはかつては「優しい独裁者」でしたが、すでにその権限をウィキメディア理事会に移譲しています。彼はもともと、ウィキペディアの運営資金すべてを拠出し、経済的な見返りを何も受けず、あらゆる決定に関して拒否権を保持していました。彼はときに、ある種の決定を一方的にくだすことがありました。たとえば利用者の追放、ガイドラインから強制力のある方針への昇格などに関する決定がありました。ある種の財団の決定について発言力を維持する以外には、権力構造への彼の参画は少なくなりつづけています。
民主主義
[edit]すべての衝突が合意を通じて解消されるとはかぎらず、多くの場合、ウィキページを単なる道具として使った単純な投票が企画されます。事実上、既存の投票方法すべてが試されましたが、標準的方法として決着をみたものはありません。
2003年3月、ウェールズの承認のもと、User:Eloquence がはじめて、プロジェクトを横断したウィキペディアのポリシーに関する公式の投票を企画しました。目的はどの種類の項目をウィキペディアの全項目数のカウントに算入するかを決めることでした(詳しくは Article count reform をご覧ください)。このとき用いられた投票方法は平均投票です。結果は採用されており、今後も、賛否両論を呼ぶ議題に関しては公式な投票が行われるかもしれません。
基本的には、いつでも好きなときに、トークページで投票を始めるよう呼びかけることができます。しかし、意見の衝突を解消するための議論が尽くされていない、と他の人々が感じた場合は、おそらく投票への参加者が集まらないでしょう。一般論としてはウィキメディアは討議性民主主義のモデルにしたがっており、決着が急がれることはありません。ウィキペディアンがそうすることを選べば、合意に基づく民主主義へと進化することもあるでしょう。
ジンボ・ウェールズは投票に懐疑的ではあるものの、英語以外のウィキペディアで行われる投票にはより容認的だと示唆しています。彼にとって、そこでの意志決定過程を確認するのが難しいためです。そうした領域では、独自の権力構造が現れる可能性が高いでしょう。
共和制
[edit]英語版、フランス語版、スウェーデン語版を含む一部のウィキペディアでは、管理者が置かれています。管理者の権限とガイドラインについては、下記をご参照ください。
- メタウィキの管理者
- ウィキペディアドイツ語版の管理者
- ウィキペディア英語版の管理者
- ウィキペディアフランス語版の管理者
- ウィキペディア日本語版の管理者
- ウィキペディアオランダ語版の管理者
- ウィキペディアスウェーデン語版の管理者
- ウィキペディアポーランド語版の管理者
- ウィキペディアイタリア語版の管理者
- ウィキペディアスペイン語版の管理者
他の言語版の管理者はAdministrators of Wikimedia projects/Wikipediasに記載されています。
ウィキペディアの文化はそれぞれの言語版によって異なりますが、一般的には管理者の行動は「多数の人々」によって制限と制御を課せられます。多くの管理者は自らをコミュニティの主人ではなく、しもべとみなしています(あなたのウィキの管理者もお読みください)。たとえば、ページの削除はウィキペディアのログへと透過的に記録されます。管理者の選出過程は言語版によって異なります。
管理者は厳密には選挙で選ばれるわけではありませんが、ウィキメディア利用者の過半数のグループを代表するものです。彼らの権力は厳格に制限され、その濫用が行われた場合その管理者の権限が除去されます(実際に起こるのはまれですが)。
管理者の権力は主として、規則と合意の解釈における自由度から生まれます。たとえば、あるページが削除に値するかどうかについて、それが「即時削除」ガイドラインによるものであろうと、投票の結果であろうと、管理者は裁量を加えることができます。削除が他の管理者によって覆されることはまれですが、注目度の高い事案や明らかにミスによるものである場合は、覆されることがあります。同様にして、ページの保護のガイドラインにも解釈の余地があり、管理者らは通例として、互いの決定を覆しません。
実力主義
[edit]ウィキメディアには強い実力主義の傾向があります。品質はウィキメディアの不変の目標であり、最高品質の結果をもたらす寄稿者の貢献物は特定の項目群 で権力を発揮することになる可能性が高いといえます。そうした貢献物は編集されたり修正されることが少なく、コミュニティおよび小コミュニティでの尊敬と権力をあつめます。ウィキペディアの項目は著者を明示しませんが、どの利用者も、ページの履歴をみれば、その項目の発展にもっともよい影響をもたらしたのは誰かを知ることができます。個人のエゴはこのようにして満たされます。
結果の積み重ねが権力の強さとして累積し、それ以降の貢献物(または削除)の質がどうであろうと不可侵のものになるようなコミュニティとして実力主義というものが理解されるならば、ウィキメディアは実力主義ではありません。個々の貢献物の質が、それ自体として評価されます。たとえば、「削除の可否を問う投票」では、問われているコンテンツを投稿した人の意見はほとんど、あるいはまったく考慮されませんし、どのウィキペディアンの投票の重みも「実力」には無関係です。
金権主義
[edit]「多く支払う者が規則を作る」という言葉があります。これはウィキペディアではほとんど成立しません。また、ウィキペディアのようなプロジェクトでそれが成立するようになっていっているかどうかについても、そうしたプロジェクトの性質に応じて、議論が続いているようです。しかし、ウィキペディアのオープンさのもとでは、経済的資源を持つ人であればだれでも、特定の分野や特定の範囲のトピックの仕事などに継続的に投資することは許されています。そうした仕事は、ある種のポリシーを実現するための議論の材料として役立てられることもあります。一般論として、貢献の量が多い人はコミュニティからの尊敬を受けているため、疑念を持たれることがあまりありません。
ウィキメディアの権力構造のなかでこの部分はあきらかにもっとも弱いものです。しかし、ウィキメディア財団が寄付を受け付け始めて以降、その重要性は高まっていくでしょう。実際のお金が関係しているのですから、持てる人の影響力は高まる傾向にあります。より広い世界で意見に対してお金の持つ影響力を分析したものとしてSourceWatchがあります。
User:Qq/Voting power is not allocated by donationsもご覧ください。
技術家主義
[edit]上記すべての底流には、技術家主義があります。一部の人々はコードを開発し変更する権力を持っています。それ以外にも項目の履歴を変更したり、ログインユーザーのIPアドレスを閲覧する権力を持っている人もいます。そのさらに底流では、誰かが、具体的にはウィキメディア財団が、あるいは時々サーバーを貸与しているBomisが、ハードウェアを所有しています。ウィキペディアの悪循環が技術競争を伴って起こり、ボットの使用、大量のアカウント、サーバーログなどが根深く関係するとき、最終的な解決は 「技術的権力」を持つ人によってなされます。
電子的なコミュニティであるウィキメディアは、その基盤にあるMediaWikiというソフトウェアに強く依存しています。このソフトウェアはボランティア開発者によってオープンソースソフトウェアとして開発されています。新しい開発者は既存の開発者へパッチを送付します。そうした彼らのパッチが高品質なものであった場合、彼らは最終的にはコードへの書き込み権限を取得し、自ら変更を行えるようになります(この書き込み権限がウィキへの権限と比べていくらかオープンでないのは、ソフトウェアはどの時点においても動くものでなければならないからです)。非常に深い関与をする開発者はウィキペディアサーバーのログイン権限を取得し、プロジェクトに対してさらに強い技術的権力を有するようになります。ここで働く制御の仕組みは、少なくとも理論的には、最高の能力(と動機付け)を持った開発者が最高の権限レベルに就くべきだ、というものです。
こうした状況を一種の軍国主義とみる人もいます。それは、最強の技術という「兵器」を持った人なら誰でも、他人からの意見を無視することができるようになっている、という見方です。ウィキペディアはこの点で他の「ウェブサイト」ほとんどよりはましかもしれませんが、対等な力関係とはほどとおいものです。実際のところ、開発者やシステムオペレーター、サーバー管理者を選挙で選ぶということは、長いあいだに起こったことはありますが、きわめてまれな現象です。
ここでの問題は、当たり前ですが、技術を他の知識、たとえば生態系の知識などよりも高く評価しているということです。コードをいじることができる人に、生態学のトピックの一覧や倫理のトピックの一覧を改善する能力があるとはかぎりません。ウィキペディアは過去、技術家主義におおいに苦しめられたことがあり、現在はその種の観点を抑制しています[2]。
開発者は現在、意志決定に関して、過去と比べてより目立たない、より専門化した(影響力が少ないとは限りませんが)役割をはたしています。多くの開発者の力は性能の問題とその他の運営関連の部分、たとえば大量の言語版ごとに数十のプロジェクトを立ち上げる場合の作業や、機能要望の実現と開発などに注がれています。
註釈
[edit]関連項目
[edit]- User Classes (See status page): administrator - ambassador - anonymous user - banned user - bot - bureaucrat - developer - registered user - steward
- User details special page: an old (2003) discussion also on how to assign sysop rights
- Interwikis: fr:Structure du pouvoir - en:Power structure